【国登録有形文化財】
「旧佐忠商店(冨谷宿)店舗及び主屋」
土蔵造2階建ての店舗と木造平屋建ての主屋からなる。店舗正面外観は、
「旧佐忠商店(冨谷宿)門」
店舗正面東側に建つ門。本柱上に

富谷 の田植踊

原の田植踊りの発生時期は不明だが、天正20年(1592)正月、伊達政宗公が
歌と笛、太鼓に合わせて
銅製経筒

門前城跡の山頂部にある
湯船寺 の彫刻

本町第一の巨刹である
天津流南部神楽 (八幡神社 )

今泉に伝わる神楽は天津流南部神楽と呼ばれ、大正3年(1914)に
薬師堂

大清水 の石盥

大清水地内に1960年頃まで、四季を通じて冷たい清水が湧き出していた。昔からこの街道を行き来する人々ののどを潤し心身の疲れをいやし元気づけてくれた冷たい清水であった。伝承によると、
また、石盥には多くの人馬の利用により汚れていた水場を清潔に保つために平胤久が石盥を設置したことや、享保丁酉(1717)年の年号などが刻まれている。名物であった富谷の茶とともに、大変親しまれていたが、昭和62年、国道4号線の改修工事に伴って従前地より100mほど南に移設・復元した。現在は市の有形文化財に指定されている。
榊流永代神楽

鹿島天足別神社 亀石

この神社は
この神社の傍らに亀の形に似た大石があり、里人は大亀とよんでいた。大明神の地にあるので、神社名(大亀明神)となり、さらに村名(大亀)となったといわれる。この石は現在では亀石とよばれており、市の史跡に指定されている。
志戸田用水 ずい道

昔から米作りが盛んな志戸田は、わずか10坪の田んぼから四斗(よんと、しと)の米が取れたことから、四斗田が志戸田になったと伝えられている。しかし江戸時代には,日照りが続いたり、用水路が洪水で壊されたりと、志戸田の人々は水不足に悩まされていた。1750年ごろの
行神社

奈良平安期に、国が
白鳥遺跡

この遺跡は、小高い山に周囲を囲まれた沢部に位置し、平成9年の県道工事に伴って発見された。発掘調査の結果から、縄文時代から奈良時代にかけての複合遺跡であることが分かった。特に奈良時代後半の掘立柱建物跡や柵列跡、土器や木製品等が出土し、中には墨で文字の書かれた器や硯の破片等もみられたことから、当時の役所に関係ある施設の可能性も考えられる。
日吉神社

勧請年月日は不明であるが、安永3年(1774)の『風土記御用書出』によると、承久年中(1219~1222)
日吉神社の主祭神は